読解ファンタジア

こんにちは♪だいごろぉです。

唐突ですが、皆さんはなんの練習が好きですか?

体操に始まり、発声、パート練習、全体合わせなど様々な練習がありますよね。


僕が一番好きな練習は…『歌詞解釈』です。

「練習じゃねぇじゃん」と思った方もいるでしょうが、高校の時は、夏休みの練習、丸一日かけて歌詞を部員全員で読み取る日ってのが設定されてました。歌の根底にあるものはやはり詩なわけで。


その詩に込められたメッセージをいかに伝えるかが大きなカギとなってきますよね♪


昔、行った合唱講習会で講師の先生が次のようなことを言われていました。

「練習用に配られた楽譜に歌詞が付いていない時は、先生にすぐに文句を言いなさい。」

つまり、楽譜だけあっても、どんな歌詞かすぐに分からなければ意味が無いということですね。


ちなみに、ここで最近練習している曲の歌詞の中で、僕にとっては一番熱い疑問を皆さんにご紹介してみようと思います。


『「さびしいカシの木」の中に出てくる、「雲」や「風」はどうして「きえてしまった」のだろうか?「いってしまった」ではどうしてダメなのだろうか?』


今、「どうでもいい」って声が聞こえた気がしますが、これは非常に大きな問題です。

文学の作者というものは、自分の作品に使う言葉を慎重に慎重に選んでいるわけです。特に、短歌や俳句、詩といった短い言葉で相手に思いを伝えなければならない分野に関しては、特にその慎重さは増します。


では、「きえてしまった」と「いってしまった」を比べてみてください。


「いってしまった」にすると、雲や風がカシの木の願いを完全に無視して通り過ぎてしまったという冷たい印象になります。
一方で、「きえてしまった」の場合、その場で光にでもなってキラキラと輝きながら空へと消えていったという印象です。

「いってしまった」はとても現実的で…「きえてしまった」はどこか空想的…

このあたりの漠然とした違いを、作者は敏感に感じ取ったのでしょうね。


ところであなたは、年をとってさびしいことになれてしまいながらも、ほほえみながらたっているカシの木さんのことを幸せだと思いますか?