蹴球サッカー
『サッカーによせて』が好きだ。とんでもなく好きだ。
木下牧子先生の曲はもちろんのこと、谷川俊太郎先生の詩も好きだ。
『サッカーによせて』は谷川先生がまだ十代の頃に書かれた作品だとか。すごい…
人間は、動物の中でも唯一(?)言葉を話すことが出来る。
その言葉によって、歴史と文化を築き上げてきた。
最近ではどうだろう?
直接言葉をぶつけあうということが少なくなってきているのではないかと思う。
すぐそばにいる家族と会話をすることもなく、メールなんかで友達と「会話」するなんてことは日常茶飯事で。
「面と向かって電話する」という言葉の誤用が生まれるほど、現代人は『面と向かって』会話をしなくなっているようである。
会話ってやつは難しい。
「顔で笑って心で泣いて」と言われるように、それ本体だけでは、その人の正直な気持ちなのかどうかすらまともに分かりやしない。
会話する上で、人は相手に誤解が生じないように、言葉を発する前に「一瞬、自分でたしかめ」る。その上で、相手のことを信頼して、後の解釈は「誰かにゆだねる」のである。
ただ、それは本当の「言葉ではない」のではないだろうか?
素直な感情から生まれてくる言葉をぶつけあい、素直な気持ちをすべてさらけ出す…。
そうしないと、自分の気持ちも理解してもらえないし、相手の気持ちを理解することもできない。
嘘・偽りの言葉だらけでは、誤解したまんまになり、「憎しみが愛へと変わる奇跡」なんか起こらない。
事実を正しく伝えようとしなければ、ある「一瞬が歴史へと変わる奇跡」も起こらない。
お互いの素直な感情から生まれる言葉を「ぶつけあい」それが「まざりあう」ことでしか、「ほんとの心は育たない」。
お互いが最高の関係でいられるためには、一生懸命、「汗まみれ」になりながら、「泥まみれ」になりながら相手に自分の本当の気持ちを伝えていかなければならないのだ。
相手の素直な本気の言葉を受けて、自分の素直な本気の言葉を返す。
お互いに理解し合うにはまず会話から始めよう。
「キツイ」「嫌い」「苦しい」というマイナスイメージも。
「嬉しい」「楽しい」「大好き」というプラスのイメージも。
まずは素直に、相手に伝えてみよう。
そして、伝えられた人は、その素直な想いを受けて、今度は自分の想いを伝えよう。
「けっとばされてきたものは 力いっぱいけり返せ」!
(だいごろぉ)